2009年8月29日土曜日

目白聖公会 聖ジブリアン聖堂


 目白駅から目白どおりを西に5分ほどいったところに、古くからある、日本聖公会の小さな教会です。2度目に伺ったときには司祭の河野裕道牧師がお出でになり、色々とお話をうかがいました。

 この場所に教会ができたのは1918年6月だそうですが、このロマネスク様式の聖堂は1929年(昭和4年)に建立されました。インターネットで検索したところ、設計監督が坪井正太郎、施工が矢沢軍治郎とのことです。






 聖堂内は白い漆喰の壁に、褐色の木の柱や天井が見事なコントラストをなしていました。

 木造の美しい建物ですが、何よりも目立つのは入り口正面上部と左右の側廊の窓にあるステンドグラスです。このステンドグラスはロンドンで1889年に製作されたものだそうで、東京ナザレ修道院の母院である英国コンウオール地方のエピファニー修道院にあったものだそうです。同修道院の閉鎖により、日本に贈られ1985年12月にここに設置されたと河野牧師さんから伺いました。








 側廊の窓を飾る8枚のステンドグラスのうちの1枚です。工法や画風はアールヌーボーのゲンリュウトイワレルウイリアム・モリスらの影響を受けていると見られ、ジャポニズムの影響も見られ細部には唐草模様が用いられていると伺いました。

  
 聖堂の入って右奥に小さなチャペルがあり、美しい聖母像が置かれていました。



   こころよく堂内を見せてくださり、色々とお教えださった、河野司祭ならびに関係者の方々にお礼を申し上げます。

2009年8月2日日曜日

日本基督教団 富士見丘教会会堂

 この会堂は1936年(昭和11年)に献堂という戦前の建物で、木造2階建て切妻作り、モルタル塗りです。全体として単純素朴な感じですが、何箇所かに慎ましやかな飾りが入って、建てた人々の気持ちが現れています。内部も穏やかな暖かい感じの礼拝堂です。
 2003年に文化庁によって世田谷区の文化財として登録されています。

道路から正面を見る       
窓の上には薔薇窓風のレリーフ、右の塔の頂上には城郭風の凸凹(バトルメント)がある




正面右側の塔から向かって右の側面



塔の下にある古い入り口、扉が素敵である


もと聖歌隊用に使われていた2階から1階を見たところ、
露出させた小屋組みが素敵である


礼拝堂身廊から側廊を見たところ、
側廊の窓の上部が葡萄模様のステンドグラスになっている。
オリジナルのものと複製とが混じっているとのこと


礼拝用の椅子。古いものが大切にそのまま使われているようだ


ステンドグラス(これはオリジナル)


祭壇の左右に一対の美しい窓がある。


柱頭の彫刻


教会には珍しいアールデコ調の傘のついた電灯がいくつも下がっていた。



お忙しい時間を割いて、教会員の方と秋葉恭子牧師から色々とお話をうかがえた。
戴いた資料から、体の不自由な方々や、子供連れの方々にも心を配りながら
活動をしてお出でだとわかった。
僅かな時間の滞在であったが、家族的な、穏やかで親しみの感じられる教会であった。

リンク


ご挨拶


 旅先で、あるいはたまたま都内を歩いていて、目を引かれるものに教会の建物があります。
大きなものでは、古いものとして御茶ノ水のニコライ堂として知られる日本ハリスト聖教会東京復活大聖堂(写真)、新しいものとして目白台に聳え立つカトリック東京カテドラル聖マリア大聖堂などがあります。
 でも、どこか心を引かれる建物が、名も知れぬ小さなキリスト教の聖堂、教会堂、あるいは礼拝堂です。

 このブログはこれまでに私が訪ねたカトリックや聖公会の聖堂、プロテスタントの教会堂、あるいはこれらや他の施設の内外にある礼拝堂を、紹介して皆様にもその美しさを知っていただこうとするものです。もっとも私の写真の腕が、そのレベルに達しているかどうかという不安は残っていますが。
 
 お断りしておきますが、私はすべての信仰を持たない人間です。このことは、私自身にいくばくかの人間としてのひけ目を感じています。また、キリスト教の信仰をお持ちの方々に対しては、信仰も持たずに建物だけを鑑賞することに申し訳なさを感じています。
 しかし、この無信仰な私が宗教的な施設に心を惹かれるのは、そういう施設を作り上げてきた信仰深い人々の真摯な心が、その施設の姿かたちに現れているからだろうと思っています。

 このブログの写真や、建物の情報については、こころよく建物の中に入らせてくださり、撮影を許してくださり、さらには色々な説明をし、資料を下さった、各教会の牧師の方々や、関係者の方々に心からの感謝を捧げたいと思います。信仰を持つ方々の心の優しさ、心の広さに大きな感銘を受けたことも記したいことの一つでした。